老人介護のエピソード
(5)親父が倒れる
ある日の午後、また電話が鳴った。外線をとった女性が、私と同じ名前の「UUさんとおっしゃる方からお電話です」と。また何かやらしかな?と不安になった。
ちょうどその頃、私は会社の所属の本部長に親父の事情を説明し、退社したい旨を申し出ていたが、「何とかなりませんか・・・」と引き止められて困っていた。
会社には事業部門が沢山あり、そのまた中に幾つもの本部がある。私の部門には約50名余り所属していて、中でも私は例外的に殆ど本部長付きのような仕事(設計)をしていたから、彼もカニが手足をもぎ取られるようなもので困ったに違いない。いつまで経っても承諾が得られない状況であった。
そんな折に従弟からの電話である。「いま、救急車で病院に連れて来たと
ころです。」と言う。聞くところでは、とにかく命には別状なさそうだとのことだ。しかし、私は重要な仕事を抱えているし、当面誰かにその引き継ぎをしないといけない。それに急いで自宅へ戻り、航空券の手配をしても直ぐ
に帰れる保証もないことを告げ、ひと晩だけの付き添いや身の回りの世話
を従弟にお願いした。
後で親父に聞くと、朝食をするために味噌汁をつくってお椀に装おうとして、突然倒れてしまったらしい。幸いなことにガスは止めてあったという。訳は判らないが、気を失ってから正気に戻ったのは1時間余り経過してか
らだそうだ。こんな時は「遠くの親戚(身内)より近くの他人」というが、ご近所は老人ばかりが殆んどが70~80代。これも世相を反映している
現象であろう。実家の裏には50代の若い(?)方がおられるが日頃から
全く付き合いもなく、妻帯者ではあるらしいが奥さんの顔すらも見たことがない。夫婦共稼ぎで子供も2人働いているようだ。だから日中は勤めに出かけるので誰もおられない。
従弟は山口県の私の実家から車で3分の所にあのる比較的大きな病院に勤
めているが、親父の希望を聞き市内でも3本指に入る優れた設備と技術を
誇るかかりつけの病院に行くように救急隊員に告げたという。
原因が脳梗塞であることは、私が翌日到着して主治医からX-ray写真を観ながら説明を受けて判った。完全看護の話を病院から聞きひと先ず安心した。数日間、実家に滞在して実家の片づけをした。病院には、必ず一週間後に訪問することを約束して埼玉の自宅へ帰った。
男の独り暮らしは大変なようだ。特に親父は若い頃から大工仕事など趣味
の領域は好きで器用でもある。が、その割には台所仕事は一切しなかった。それがお袋の介護でかなり勉強したらしい。親父が亡くなったあとに資料
の整理をしていたら、NHKや民放の料理番組のメモが数百枚以上あった
ことから判る。
私は帰京後に出社した際、例の本部長に事の詳細を説明し、紫陽花に相談することももなく、固い退社の決意を告げた。
やっと一週間後、何とか認められた。あちこちの業者に退社の挨拶の電話を入れていたら、同じ都内のある業者の取締役から直ぐに会いたいので、「10分間でいいから時間を割いて頂けませんか?」言われた。1時間後にやって来て自分の会社に来れないかとの相談である。私はとんでもない、こういう事情だと説明し断ったが、「そこを何とか…」と言われるので、とにかく話は私が山口に帰ってから電話でということにした。
これからが大変、実家(山口)~自宅(埼玉)~会社(静岡)~病院(山口)~東京など様々な移動バリエーションが発生した。
事件は次々に起こるものである。