老人介護のエピソード
(4)大火寸前、冷静に行動した親父
親父の独り暮らしが始まってから、私はそれまで実家へあまり電話をすることもなかったが、気になるので頻繁に実家に電話をかけるようになった。
お袋の生前にたまに電話をして様子を聞いても、もともと寡黙な親父は、「おお、母さんは、起きたり寝たりじゃのう」程度のことしか話さない。亡くなる1年前の最後にお袋に会った時の会話は、その辺のお年寄りよりもはるかにしっかりし、元気で口も達者であった。
夫婦というものは、本来お互いの欠点を相手が補おうとするのが自然の成り行きだから、必然的にそうなるものである。ただその時、少し気になったのは、俗に言う「まだら呆け」という症状が現れていたことである。
私が少しでも会話に多くの時間をとろうと、自宅を新築した時の話や紫陽花の自慢話などをしていると、「あんた、風呂が冷めないうちに早く入りな
さいねぇ」と言う。さっき「入ったよ」と返すと、10分か20分経つと
また同じこと繰り返す。
「さっき、入ったって言ったじゃん!」、「ああ、それかね、ほんならええわ」とこれが3回位続いて、私もこの様子では少しヤバいなっ!と感じた。それでも、手足は僅かに不自由があるものの、頭の方はしっかりしている親父がついているからと思って安心していたが、世間で言われる現象通りになった。それは長年連れ添って暮らした伴侶を失くした時に、認知症になりやすいということだ。
親父の場合、その件については全く大丈夫そうに見えた。でもそこは老人
のこと、認知症でなくても注意が散漫になるなることは多いもの。
事件はその不注意から起こった。5月であったが年寄りには朝の冷え込みは辛いもの。朝起きて灯油ストーブに火をつけ、トイレに行ったらしい。
ところが、運悪くというか不注意で、1週間ほど前に私が買ってやった保温ポットをストーブの上に置いたまま気づかずに火をつけ、その場を離れてしまったらしい。古い田舎の家だから台所からトイレまで遠い。距離にすると、約20mはある。いや、もう少しあるかも知れないが測ったことはない。用を足していたら、けたたましい音で火災報知器が鳴ったという。先にも書いたが、杖をついて長く立つことができない人間が急いで台所に戻るのも大変であったろう。戻った時には石油ストーブの上に火柱が立っていたという。幸い天井は難燃剤だったのですぐには発火しない。
しかも、親父はこのような経験には慣れていて知識も十分にある
昔、私が子どもの頃、現在もある有名な大会社の子会社でそこの管理人として住居が与えられて住んでいたことがある。親父はその親会社に勤務、管理人は夜間の守衛代わりのようなものだ。そこで20m近く離れた工場の変電所内でトランスが燃え上がり、室内が火の海になったのを見たことがあった。
原因は近くに韓国人部落があり、その一味が雨の日に直径5cmもある地中ケーブルを切断・盗品したことによるものであることが事件後に判った。その時、親父が自宅に毛布を取りに帰り、独りで火の海に飛び込んで行って消したことがある。(親父の数多い社長賞の一つの事件である。)
ストーブの火柱もすぐに毛布で無事消し止め、大事に至らなかったという。
親父は海軍の高等電機学校を首席しという程の強者だそうだ。戦火をくぐったこともあり、その程度では驚かないだろう。
首席の話は生存している親戚の元軍人の話。真偽は定かでないが幼少の頃の学校で常に2番だった(昔の学校では、成績が同じか上でもお行儀が悪いので2番にしたと、親父の実兄が教師から聞いた)という話は本当のようで、親父の昔の成績表は何度もおふくろから見せられたが恐るべきもの。「甲・乙・丙・戊」での評価だが、乙が一つか二つで残りはすべて甲である。私なんぞの比ではないから本当かも知れない。
いずれの事件も大火寸前ながら、冷静に行動した親父には感服である。
まだ、頭の方はまだ確かだったようだ。
さて、事件はまたしても起きた。こんどは本人の話。