老人介護のエピソード
(28) 相変わらず2日に一度訪問、リハビリは名ばかり…
親父の容態だが、特に変わらない、よくも悪くもならない。頭の方も正常なようで認知症状もなく受け答えもまともで、亡くなるまでボケてしまって問題になるようなことはなかった。入れ歯を入れていても、いなくても舌の動きが悪く呂律がまともでない。時々何を言っているか判らず、何度も聞き直すがそれでも判らないことがあってこれには苦労した。ホワイトボードに書かせるが、ミミズが這ったような字で判読できないことがある。平仮名のボードを作成して指差しをさせるがこの方式だとやたらと時間がかかる。それでも何とか意志の疎通はでき、要求は何でも可能な限り叶えてやることにした。
寝てばかりでテレビも以前に書いたように、目には限界があり、見るのに疲れ、おまけに歩けない(動けない)となると、楽しみは食べることしかない。嚥下障害の傾向があるため自宅ではメニューにより区別していたが、先の病院では刻み食が多くなった。今度の病院では刻みどころかすべてがペースト状になってしまった。僅かにご飯だけが柔らかい白粥で、おかずは何が出てもペースや大根おろしで擦りおろした状態である。果物は必ずゼリーまたは飲み物に置換されている。いかにも味気ない。これでは食欲もわかないのも理解できる。時折食事介護していると、「もう、要らん!」とそっぽを向く、「お父さん、もう少し食べようよ」と言うとひと口、ふた口は食べるが、次は黙って横を向き、顔をしかめる。
一時期、病院の食べ物に飽きたのか、痩せてきたこともあった。病院に内緒で私の味付けで親父の好きな里芋、カボチャ、ジャガイモ、大根などの煮物を軽く形を崩した感じで差し入れをすると、とても喜んで食べてくれ、体重もかなり回復した。そのうち何度かバレてしまって公認になり、看護士から「今日はお好きな差し入れがあっていいですねぇ」と声をかけられ、親父が嬉しそうな表情をすることも度々あった。このあたりがこの病院の看護士のよいところで、死が近い人間に無用な制限を加えることなく、本人の喜ぶ満足の余生を送らせる配慮は、経験豊かな看護士(実際には士長の判断だろう)でないとできない素晴らしいものである。
あの寡黙な必要なこと以外殆ど口にしない親父だが、「大学の帰りが遅くなるので夕方来るからね」、「次に来る時に○○を作ってくるね」、「今度は髭を剃るね」と、約束をして帰る際にはいつも、「頑張れよ!」、「無理をせんでもええど!」、「ありがとう!」などの言葉をかけてくれた。
毎日「ありがとう」を忘れることはまずなかった。
どんなことでも、感謝の気持ちを表すことのできる人には人徳がある。些細なことだが他人に与える印象がとてもよく、徳を備えた人間になれるものである。私も常にそのように心がけてはいるが、親父はそれを忘れさせないように実践して教えてくれたような気がする。
どんなことがあっても、大学の試験中であっても、相変わらず2日に一度お昼の食事の時間に訪問し、介護士のお手伝いをした。配膳する方も心得ていて、「宜しくお願いします」と言って去り、担当介護士も私がいることの確認と「お世話になります」とお礼のみに現れるようになった。
ところで、親父にどんなリハビリをしているのか聞いてみたが、実態は「全く何もしていない」と言う。自宅では長い廊下を独力で歩いていたのに、病院では危険だからと一切歩かせない。それでいてリハビリは名ばかり…、でも毎月の請求書の明細にはリハビリ費用が加えられている。それ以外にも不自然な項目が複数あった。
しかし、それを細かく追及すると、本人に影響が及ぶばかりか、追い出されることにもなりかねない。それに請求金額の負担額は1/10である。
万が一、追い出されてもいいように次の施設は準備してあったが、少し私の訪問が遠くなり不便になるので目を瞑っておくことにした。それが病院を上手く利用する方法でもある。(本当は、この考え方は間違っているのだが…)
よく、ここへ入れましたね!