老人介護のエピソード
(21) 重さ約60kgの蒟蒻は重い!
誰でも生活のリズムがある。若い人は若いなりに、年寄りは年寄りなりの生活パターンがある。だから、同居というものは非常に難しいものであることは、昔からよく知られたことで、どちらかが合わせる気持ちがないとうまくいかない。時折そのパターンに変化を加えることも面白くなったり、楽しくなったりするものである。しかし、人生も終わりが近くなってくるとその生活パターンやリズムも段々固定化してくる。親父の場合もショートステイを殆ど利用しなくなってからは、毎日の生活リズムにも変化がなくなってくる。入浴の介護も数日に一度が時折4日に一度になることもあった。
入浴介護の日には、必ず電動ベッドを上手く利用して髭を剃ってやる。散髪屋さん並みに蒸しタオルを使い、シェービングフォームを塗って、電動剃刀を使うので痛くなくて安全に実行できる。温かいタオルで仕上げ拭きして
ひと休み(眠り)させている
その間に着替えなどを準備し、季節に応じて風呂の湯加減が適温か否かを温度計で湯温をチェックする。2日に一度の頃は、「何時何分にお風呂に入れるからね!」と言っておけば、親父は自分で予め時間前にトイレに行き、その時間頃に風呂場に向かってくる。歩行器を置いた後は、私が後ろから腕で腰をはさみながら両手首を掴んで支えて歩かせる。親父は後ろに倒れる形で体重を預けてもいいので、安心して足だけ前に運べば自然に歩けるマジックのような私の考案した独特のスタイルである。
入浴が終わると、ひと休みのパターンが決まっていて、「水戸黄門」の鑑賞である。そして、この番組が終われば夕食という段取りである。入浴も疲れるらしく、時々テレビは最後の「この印籠が目に入らぬか・・・」と見せ場をやっているのに、本人は大きな口を開けて「ガ~~!」と寝ていることがある。パターンがマンネリ化してくると、本人も介護する側も習慣化してしまい何となく気分的に楽になる感じだが、変化がないということはすなわち刺激がないことであって、老人には決して良いことではない。だからと言って、周りから何か刺激になることを思っても、本人にヤル気がない場合はそのリズムやパターンを変えるのはなかなか難しい。
人にとって気力が無くなるということは、仕事であれ趣味であれ、生きることへの放棄である。highdy は何事に対しても前向きでない人は好きではない。だから、健常者に対しては上手に考え方を改めさせる。この手法は過去に多くのうつ症状の方を直した手段の一部でもある。老人の場合はそう簡単にはいかないが・・・。
さて、また話が脱線してしまったが、いつものように洗い場の手摺を持たせたまま、予洗いをして湯船に誘導して浸からせる。風呂のふちには着脱可能な手摺、その反対側と座った時に前になる側にも固定の手摺があり、底にも滑り止めマットがあるので、体を注意深く支えていれば何とか自力で入浴できる。ただ、この時に不自由な足がなかなかうまく上がらないことがあって、その状況を観察しているとその日の体調が判る。
ところが温まってから立ち上がり、洗いに移る際にはその上がらなかった足が容易に上がるので、血の巡りが良くなっていることを示している。そんな一見平凡なパターンに見える時に限って事件も起きる。
私は夏でも冬でも「風呂の三助」をする時は、薄い肌着で下はステテコ姿で濡れてもいい恰好で対応する。夏はいいが冬は風呂の中と言えども田舎の古いタイプの風呂は、現代のような暖房付きではないから少々寒い。が、親父が温まるのをじっと待っている。いつもより1~2分長く温まっていた親父が立ち上がろうとしたその時、突然蒟蒻状態になった。意識が朦朧として全く自力で動こうとしない。と言うより、立てないのである。お湯の中にしゃが込む形で、このままでは溺れてしまう。慌てて支えようとするが、60kg近くもある蒟蒻を簡単に持ち上げるのは至難の技である。セメント袋か、米俵の
60kg とはワケが違う。経験のある方はご存じと思うが、力の抜けた人間ほど扱いづらいものはない。
やっとのことで風呂の縁に腰をかけさせた状態で親父に話しかけると、「風呂に酔うてしもうた!」とのことで、一時的な血圧変動があったと推測された。私も60代に後半になって、こんな重い力仕事は久し振りのことである。親父は若い頃は 90kg
以上あったようだが、それでも痩せて60kgを切るほどになった。これが私が男だから水の浮力も多少助けてくれて抱え上げることができたが、誰もいない状態の老婆(例えば、お袋)だったらどうなっていたかと思うとゾッする。
親父の人生で最大の大怪我かも?