老人介護のエピソード

 

(16) どうして要支援2なの?

 前回の「出始めたら止まらない便」騒動の少し前の話である。私はまだ東京での非常勤勤務があり、残念ながら、年に1度の介護認定の更新に立ち会うことができなかった。

認知症も治って頭も正常に働いていた親父は、調査員のいろんな質問に対して「できない」という表現を使うことに抵抗があり、恰好が悪く恥ずかしかったのか、見栄を張ったのか、いずれにしても適正な答えではなかったことと、調査員の判断も不適当であったことが推察できる。

過去に立ち会った時に感じたことであるが、調査員の質問の仕方や方法にも問題がある。特に病院や自宅のベッドで寝ている状態の患者に対する調査では、決してでたらめとは言わないが総じていい加減なことが多い。

 国の介護認定基準そのものがまず曖昧な規定になっている。従い、地方自治体により、1等級程度の差は普通で2等級も違うことは珍しくない。私は自宅(埼玉)と実家(山口)、家内の実家や親戚が静岡、私の生徒さんが全国に居るのでかなり詳しく聞いて調べてみることができる。

親父の等級はどう軽く見ても、「介護1」以上に該当した。もしも私の介護がなかったら、とっくに家も燃えて消失したり、本人も転倒やその他の事故でこの世に居なかったであろう程の生活障害がある。それでも「要支援2」であった。だが、私はそれでもそれにより使わなかった国の予算が他の人を助ければいいと思っていた。それに介護保険でできる多くのことも、自分でできることは極力自力解決をしてきた。確かに保険は使うために掛けているのだから、使うのは当然の権利である。が、皆がみんな、保険で無料だからと使う人ばかりなら制度にとっても好ましくないとも思って、利用も控えめにしていたのである。

 ところが、介護認定の結果が届いてみると、相変わらず「要支援2」である。こんなに親父も私も頑張っているのにどうして「要支援2」なの?

調査員は何を根拠に決めているの? 思っていたより2等級も下である。これには少々私もキレた! 

いきなり上級組織に「不服の申し立て」をすることはできるが、頭越しに上級幹部や上級組織に怒鳴り込むのは人の道に反することでもある。一応筋を通して市の担当係長を呼び出し、腹が立ち怒鳴り込みたかったが、そこはいい年をした大人、要「介護」と要「支援」の字の間違いではないかと、言葉も優しく丁寧に説明 ・質問をした。そして決して面談した調査担当者を叱責しないようにも言葉を添えた。女性の係長は説明も非常にしっかりしていて適切 ・丁寧に対応。早速再審査の運びになった。

 2か月後に再び結果が届き、「要介護2」と認定された。2か月遡って費用請求もしても良いとのことであったが、市の審査会が正しく機能し、評価してくれたことに感謝して、遡求請求はしなかった。他の地方自治体と比較しても要介護3に限りなく近い状態であり、ショートステイ先や病院の介護士たちも「要支援2」には小首を傾(かし)げるレベルで2年間も過ごしたが、再審査結果にはクレームはつけず満足した。

親父が亡くなる前、病院から「現在の状態では、ご家庭での介護はもう無理です」と言われ、その病院の紹介により、新しい介護専門の病院に半年余りお世話になることになった。
要介護3の認定証が届いたのは亡くなって、すぐのことである。

 

さすがに病院、しっかり消毒もしておきましたよ!

 

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