老人介護のエピソード
(12) 歩行器を使い始めたものの・・・
先に書いたようなショートステイの準備をするのにほぼ1日がかりである。やっと準備ができて親父を介護施設(病院)へ連れて行き、帰ったらすぐに台所を片付け洗濯を済ませてタクシーを呼び空港へ急ぐ。約2週間の勤務が終わったら、その日のうちに親父を迎えに行く生活が続いた。
認知症も治ってくると今度は別の問題が発生、病院内で度々の転倒事故が発生。その度に電話もかかる。「X-ray検査もしましたが特に異常はありませんでした」などと。そのうち院内の歩行用スリッパも禁止になり、介護シューズへの変更要請があった。
親父が単独行動(100%トイレのみだが)しないように、ベッド脇に感圧センサー付マットの設置をお願いした。当初病院側は難色を示したので個人負担で買うからと設置の協力を求めたところ、結果的に病院側のご好意により他病棟から借用してくれ、無料で設置してくれることになった。それで安心していたらまた事件は発生した。認知症も治り頭がしっかりしている親父は、今度はそのマットを避けるために跨(また)いでしまおうとしてまた転倒する。どうも、トイレに行くのにいちいち看護士やヘルパーが同行するのが煩わしいらしい。
マットを跨がないように注意をしたら、今度はベッドの反対側の柵(手摺)を乗り越えようとしてまた転倒。とにかく世話の焼ける親父で、いつも私が謝ってばかりである。一方病院側も管理不行届きで私に謝り続ける。
たまに、東京で勤務中に病院から電話くると、「またか~」と思いきや、今度は転倒ではなく、「どうも風邪をお召しになったようで・・・」と、看護士が私に処置を求めてくる。いつも私が薬や栄養面で細かい管理をしているためか、病院の医師よりも私の意見を尋ねてからのようである。(きっと
「うるさい家族がいる患者だ」と思われていたに違いない。)
「お宅は病院でしょ? そんなこと位で電話しないで!」と言いたいところだが、介護施設と一般病棟では管理法も異なり、家族の意見を尊重するような内規があるのかも知れない。
そんなことを繰り返すうちに、親父も自分の歩行の危険に気づいたらしく、自ら(4脚の)歩行器を希望するようになり直ちに手配をした。
それで転倒事故が終わるかと思ったらそうではない。そもそも老人の歩行の関しては、歩幅が小さく、膝関節をあまり曲げない(足を高く上げない)歩き方で、且つ踵(かかと)から接地しないのが特徴である。だから、前につんのめったり、つまづきやすい歩行をする。その典型的パターンに見事に当てはまるので優しく何度も注意をする。が、老人が新しいことを覚えるのは苦手のひとつであり、指導はやめて介護する側の人間が注意深く気を付けるしかない。このような状態になると、1時間程度の外出も安心してできなくなる。
ある日、近くのスーパーに30分余り買い物に出かけ戻った。いつも出かける時間は1時間が限度であり、私の自由時間は在宅中であっても、大いに拘束され、庭仕事をしていても気が休まる時間はない。
玄関で履物を脱いで上がろうと右折した瞬間、今まで見なかった視界の足元に顔から血だらけの親父が歩行器とともに転がっている。理由を尋ねると、歩行器の上から逆さまに頭から転倒したらしい。全く目が離せない。それでも、「絶対に寝たきりにさせない」という私の姿勢はいつまでも続く。
何度転倒しても、歩かせることが基本である。いつも親父に「お父さん、寝たきりになると一番困るのは本人だからね。いろいろな不便とともに寝ダコ(褥瘡:じょくそう)ができて痛くなったりして大変だからね。もちろん、僕も介護が大変になるんだけど・・・」と言い聞かせてある。
それに近代医学では、心臓病であれ、糖尿病でであれ、高血圧であれ、余程の重症でない限り、適度な運動は治療効果としても好成績を残すことが医学的に証明されていることは、私もすでに勉強済みである。
親父の転倒事件は続く。脳梗塞で入院後だけでも10指に余る回数は楽に超えている。それでもいつも幸運が重なってか、命に別状がないのが不思議である。それに転倒の主たる要因は頻尿にあることも事実であり、主治医に詳しく報告はしてあるものの、薬を処方はしてくれない。私も薬は本来体外異物であり、可能な限り摂取しないという考えをもっており、できるだけ食品で代用する主義である。だからいつも言うが、介護には愛情と気力、お金と時間、知識と技術が必要である。
お金の事件もある。