老人介護のエピソード

 

(11) ショートステイの準備も大変!

 親父の脳梗塞の治療後、退院してからは私も自宅で介護する日数が増えた。それでも2週間の勤務をしようと思うとショートステイに預けなければいけない。従弟の働く総合病院でも認知症やデイケアサービスをしており、ケアマネージャの配慮でショートステイに入るための診断を受けた。親父は独り暮らしの頃から何度もデイケアを勧められたが、「あんな人を馬鹿にした幼稚園児扱いするところに行けるかっ!」と、拒否していた。

確かにその判断は、認知症になっても間違っていなかったし、私もそのような現場はよく知っている。が、治療3か月とリハビリ3か月で入院していた僅か6か月の間に驚くことが起きていた。確かにリハビリの内容に関しては効果があったが、毎日親父と話をしていても寡黙な親父にそれらしき認知症の症状には全く気付かなかった。

 ある日の朝食後、ショートステイをする予定病院へ認知症診断のために連れて行った。担当医師は、有名な長谷川式簡易知能評価により検査をした。何月何日も答えられず、何時頃かと尋ねても頭をかしげてる。そればかりか昼や夜だけでなく、春か秋かも判らない状態である。…なのに、毎日の私との会話は正しく成立していた。

評価で完璧にできたのは、簡単な計算や逆数字の読み上げ程度で、記憶に関しては唖然としてしまった。その後、2週間おきの私の自宅介護の際に、認知症を直すことも介護業務の一つに加わった。

 毎月神経内科に定期的に通い、血液による糖尿病の検査も受ける。医師の処方薬も神経内科2種、糖尿病も1種があり、ショートステイに持っていく薬は痒み止め、便秘予防薬など10種類近くある。すべて主成分、用途、用法まで細かく使用薬品リストを作成する。そして、各種類毎に必要回数分の数を数えて個別包装しておく。

また、衣装ケースにぎっしりいっぱいの20種類位の所持品リストも作成する。所持品には3~4日分の下着(それ以外は病院で洗って対応してくれる)をはじとして各種タオル、爪切り、孫の手やティッシュペーパーの箱まで用意してある。

さらに、緊急時の連絡先リスト(私の行動予定、各種主治医や担当看護士の名前、ケアマネージャの名前などを記載したもの)も作成する。

ショートステイの度に、担当看護士、担当ヘルパーに各一部渡し、衣装ケースにはコピーを貼っておく。

ここまでする人もしない人もいろいろだと思うが、このような注意を払うことにより、病院側も管理しやすくなる。所持品だって管理が明確になるし、薬の管理も実質私が管理しているようなものである。

私はカロリーに関しても、糖尿病を直すために自分で親父の体重から計算して病院にカロリー指定の食事を依頼した。自宅に居るといろいろ我儘を言って困らせる親父だが、さすがに病院の食事は文句を言わずに何とか食べていたようだ。おやつだって「この2種類だけを2週間で食べる程度に与えて下さい。」と指定していた。

 しかし。これらの細かい努力の積み重ねで、半年かかったが糖尿病も認知症も治すことができた。糖尿病もインシュリンを打つ程の重症でなかったので食事と薬の併用で治し、薬が不要になるまでに漕ぎつけた。

認知症も一度治してからは親父自身も自分でボケない工夫として自ら連日努力をしていた。これは後で少し書くことにする。
特に甘いものの好きな親父の可能な限りの我儘を聞くのはかなり困難があった。少し気を許すとすぐに血液検査に結果が現れる。それをまたうまく利用して説得もしなければいけない。認知症の治療はとにかくコミュニケーションをとることである。

認知症の年寄りと言えども重症でない限り、昔のことはとてもよく覚えている。ちょっとしたことから親父の乗っていた潜水艦の話や昔の楽しかったであろう話につなげて喋らせるようにした。ただ、辛い戦時体験は話したくないようなのでその方面話は極力避けるようにした。

  誰でも年老いてくると、体のあちこちに不具合があるものである。認知症、糖尿病、便秘症、極端な乾燥肌、そのうちに頻尿プラス便通の不感状態になってしまい、これらの諸症状が介護の負荷として大きく影響をしてくることになった。

介護のためにに徹夜をしたことは数えきれないほどある。でも、どんな事態が起ころうと、どんな辛いことになろうと、私はひと言の小言や愚痴も言わなければ、親父を怒ったりすることは亡くなるまで一度もなかった。

 

歩行器を使い始めたものの・・・

 

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