た行のことば
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た
大過(たいか)なく
「大禍(たいか)なく」は誤り。「禍(まが)」は不幸せ、災いのことで
言葉の意味が違う。「過」は自分の「あやまち」の意味である。
「――退職できまして・・・」などのように挨拶によく使われる。
大義名分(たいぎめいぶん)
「大義名文」は誤り。それこそ、迷文(こんなダジャレ語も辞書には無い
が…)になってしまう。類語に示すように、ある行為のたてまえとなる
もので誰もが認める理由づけや道理をのことをいう。
大山鳴動(たいざんみょうどう)
「泰山鳴動」は誤り。字の間違いに注意。故事ことわざ辞典にもあるよう
に、西洋の諺で「大山鳴動して鼠一匹」のように使われ、大騒ぎした割
には大したことにはならなかったことのたとえに使われる。
対症(たいしょう)療法(りょうほう)
「対処(たいしょ)療法」は誤り。「対症」とは、患者の症状に対応して
行うことで、その療法をいう。
大団円(だいだんえん)
「大円団(だいえんだん)」は誤り。小説や芝居など演劇において、めで
たく解決がつく最後の場面のこと。「団円」とはまるくおさまる様を意
味することが語源となっている。
体調(たいちょう)を崩(くず)す
「体調を壊(こわ)す」は誤り。「体を壊す」とは言うが「体調を壊す」
という表現は不適当。「体調を崩す」「体調を整える」と表現する。
なお、「体調を調(ととの)える」というのも誤り。
「奥深き日本語の世界」にもあるように、「ととのえる」も使い分けが大
切。迷った時には平仮名で書こう。
台風一過(たいふういっか)
「台風一家」は誤り。一家と言われるほどの連続台風は、困ることになり
そう。台風が通り過ぎたあと、風雨がおさまり空が晴れ渡りよい天気に
なること。転じて、騒動が収まり、晴れ晴れとすることのたとえに使わ
れる。
大別(たいべつ)すると3つになる
「大別すると3つに分けられる 」は誤り。これまで何度か出てきたが二重
表現である。
高嶺(たかね)の花(はな)
「高値の花」は誤り。文字通り解釈すればよい。高い山に咲いている花と
いう意味で、花の値段が高いわけではない。辞書の意味も解りやすいが
「花」は一般的に「女性」を意味することが多い。具体例ではこんな人を
言うのが現実のようである。
叩(たた)けよ、さらば開(ひら)かれん
「求めよ、さらば開かれん」は誤り。「求めよ、さらば与えられん、尋ね
よ、さらば見出さん、叩けよ、さらば開かれん」。
新約聖書(マタイ福音書七章)にあるイエスのことばに出てくる。
立(た)つ瀬(せ)がない
「立つ背(せ)がない」は誤り。非常に広い意味があるが、恥ずかしくて
自分の居場所がないことをいう。
立(た)つ鳥(とり)跡(あと)を濁(にご)さず
「飛ぶ鳥跡を濁さず」完全な間違いではないが誤り。ここでの「立つ」は
「飛び上がって去る」という意味で、本来は「立つ鳥」が正しい。
立ち去る者は、あとが見苦しくないように始末をするということ。
対義語に「後足で砂をかける」、「後は野となれ山となれ」がある。
「旅の恥はかき捨て」も同じ対義語に入れてよい。
他人事(ひとごと)
「他人事(たにんごと)」は誤り。辞典にあるように読み違えをしないこ
と。ちなみにNHK用語委員会では表記法まで決めているのが面白い。
たわい無(な)い
「他愛(たあい)ない」は誤り。本来は「たわい」が正しく意味も広い。
「他愛たあい」は単なる当て字。
weblio 辞書では、近世以降の語としている。ただ、highdy は言語学
者ではないので断言はできないが、「たわい」が口語化したもので参考
例にもあるように、どちらでもいいと考えている。辞書も諸説がある。
単刀直入(たんとうちょくにゅう)
「短刀直入」は誤り。中国宋代の「景得伝灯録」(伝記物)をら出典とす
る言葉で、たった一人で刀を一振りだけ持って敵陣に切り込むことから
発生した、ものごとを飾りっ気なしに、真正直に表現をする際に用いれ
ている。
単(たん)に 又は ~だけ
「単に~だけ」のように用いるのは誤り。二重表現になっている。
いずれか一つ使えば十分である。「単」の意味から考えると「単に5つ
の問題あるだけのこと」のような表現は不適切である。
ち
力(ちから)ずく
「力づく」は誤り。「力づく」は元気になることで、「力ずく」は無理矢
理に、腕ずくでという意味であるから、使う場面よっては気をつけなけれ
ばいけない。口語表現では気づかないことが多いが、書き言葉では注意が
必要。
血(ち)で血(ち)を洗う
「血で血を争う」は誤り。悪いことに対処するために、悪事を以て対抗
すると、殺傷に対して殺傷で報復する。血族あるいは同胞どうしが相争う
ことをいう。歴史的に表現すれば。古代イスラム法(ハムラビ法典196、
197条)にあるとされる「目には目で、歯には歯で」の同害報復に似てい
る。「血筋は争われない、血筋は争えない」と混同されやすいが意味は全
く異なる。こちらは類語である「蛙の子は蛙」と同じである。
調子(ちょうし)に乗(の)る/波(なみ)に乗(の)る
「調子の波に乗る」は誤り。二重表現になる。「調子に乗る」と「波に乗
る」は殆ど同じ意味を持っている。ニュアンスの違いは、「調子に乗る」
が得意な気分になっているのに対し。後者は周囲の流れやタイミングに合
っているという程度で、ほぼ同じ意味合いである。
著作権法(ちょさくけんほう)違反(いはん)と侵害(しんがい)
「違反」と「侵害」を混同して使っているケースが非常に多い。辞書で調
べても表現が怪しいほど紛らわしい。使う場面によってしっかり区別しな
ければならない。「著作権」を不法に侵せば「著作権侵害」にあたる。
「違反」というのは、法で定められた事項に反すること。
例えば、法のある項に「文化庁長官は、前項の定めをしたときは、これを
官報で告示する。 」とあるのに、これを公示しなかったら法に違反であ
る。
「侵害」というのは、「著作権法で認められる他人の権利」をおかすこ
と。例えば、「法で認められた形態以外で他人の権利内容を無断で実行」
したとき、これは著作権者に対する権利の侵害にあたる。
つ
通行(つうこう)止(と)め
「交通(こうつう)止め」は限りなく誤りに近い感じがするが、用法で区
分しているのが正しいと解釈するのが妥当である。
一般的に、「交通止め」は幅員(道幅)の広い道路において主に車両関係
に対し、「通行止め」は狭い道路においての軽車両・歩行者に対して使う
ケースが多い。公共放送であるNHKの解釈も参考になる。
「謹(つつ)んで」「慎(つつ)んで」お悔やみを申し上げます
上記の表現では、どちらかと言えば、後者の方が適当と言うべきである。
語源はどちらも「包む」からである。どちらもほぼ同じであるが、主観を
相手におくか、自分におくかによって異なる。大雑把に表現すれば「謹」
は「謹賀新年」など相手を敬い華やかな方に、「慎」は出過ぎないように
控え目なイメージの上記例文のような場合に使う。
新聞などでは「謹んでお詫びを・・・」に使われるが、これは相手に対し
ての表現である。こちらも非常に参考になる。
石(いし)に「つまずく」「つまづく」
口語では判らないが、書き言葉ではどちらも「躓(つまづ)く」で同じで
あるが、例文の場合では、語源は「爪突く」であり「つまづく」が正し
い。
現代仮名遣(づか)い(昭和六十一年内閣告示第一号)において、「ず」
と「づ」は、基本的に「ず」でもよいとされている。従って、全くの間違
いと も言えず、パソコンでもどちらも「躓く」と変換される筈である。
しかし、語源がはっきり判る場合に「かな」で書くときはそれを意識して
使うのが妥当。例えば、馬の「ひづめ」は「爪」の意識があるので「ひず
め」は誤り。よく見かける例では「少しづつ」とあるが、これは「少しず
つ」が正しいと言える。
て
轍(てつ)を踏(ふ)む
「二の轍を踏む」は二重表現で誤り。故事ことわざ辞典にあるように、前
の人の失敗を繰り返すたとえである。「轍」とは車輪の跡のこと、つまり
「わだち」のこと。「二の足を踏む」と混同されやすい。
テトラポッド
「テトラポット」は誤り。Apple 社の商品「アイポッド」(iPod) も言い
づらいがアイポットは誤り。テトラポッドは商品名で護岸用の消波ブロッ
クのこと。テトラは「4」を意味するギリシャ語接頭辞。
デッドロックに突(つ)き当(あ)たる
「デッドロックに乗り上げる」は誤り。デッドロック(deadlock)とは、
「開かない錠前」のことで、複数のプロセスが互いに相手の占有している
資源の解放を待ってしまい、処理が停止してしまう状態をいう。「乗り上
げる」を使う人は、おそらく英語で「岩」は rock であるために「デッド
ロック」を dead rock と誤解しているためであろう。ちなみに「暗礁」
は reef である。
出端(でばな)をくじく
「出花をくじく」は誤り。「出端をくじく」は「出鼻をくじく」とも表現
される。どちらも同じ意味で、相手が勢いづくところを妨げること。
寺子屋(てらこや)
「寺小屋」は誤り。江戸時代の「寺子屋」とは現代でいう民間の塾のこ
と。
出(で)る杭(くい)は打(う)たれる
「出る釘(くぎ)は打たれる」は誤り。類語に示すように、集団において
異質なものは叩かれるということ。
デジタル大辞泉にあるように、「釘」も認知権を得つつあり「話ことば」
としては認められつつあるが「書きことば」としては「杭」が正しい。
伝家(でんか)の宝刀(ほうとう)
「天下(てんか)の宝刀、殿下(でんか)の宝刀」は誤り。意味はこちら
にあるように、いろんな代替表現があるが「いざというときの一手」のこ
と。添付資料を参照。
天地神明(てんちしんめい)
「天地天命(てんちてんめい)」は誤り。天地(「すべて」の意味)の「
明」も「神」の意味である。新明解四字熟語辞典を参照。
手(て)をこまぬく
「手をこ招(まね)く」は誤り。「こまねく」は、「こまぬく」が語音変
化したもので第二の表現として認められている。
漢字表現ではどちらも「拱く」と表記する。話す場合はどちらでも構わな
いが、漢字で書く場合に間違えないことが大切。
と
灯火(とうか)親(した)しむ
「灯下親しむ」は誤り。確かにランプの下で本を読むが、その意味ではな
い。
中国の韓愈(こちらも参考までに)の「符読書城南詩」に由来しており、
涼しく夜の長い秋は、灯 火の下での読書に適していることを表現したも
のである。
等身大(とうしんだい)
「頭身大」は誤り。「等身大」は実物大と同じ意味。八頭身美人という表
現は正しい。コトババンクでも示されているが、今では古い美人基準にな
るかも知れない。
堂(どう)に入(い)る
「堂にはい(入)る」は誤り。意味は類語辞典にあるように、様(さま)
になっていることで「手つきや動作がこなれていて違和感のないさま」こ
とを表す。
度外視(どがいし)
「度返し」は誤った当て字。かまわずに捨てておくこと。問題にしないこ
と。無視していることで、ものの見方(考え方)に関することで「返す」
(=返却)とは関係がない。
どじ(ドジ)を踏(ふ)ふむ
「どじをする」は誤り。言葉の意味からは「する」も理解できるが、「ど
じ」は語源由来辞典から察しがつくように、「踏む」が正しいとする解釈
の文献が多い。。
慣用的な話ことばとしては使われているが、書く場合には「踏む」が正し
い表現である。
度量(どりょう)が大(おお)きい
「器量(きりょう)が大きい」は誤り。「度量」は心の広さ、「器量」は力
量や容姿のことをいう。
泥仕合(どろじあい)
「泥試合(どろじあい)」は誤り。〔泥にまみれて争うことから〕 互い
に相手の欠点・失敗・秘密などを言い立てて非難しあうこと。書き言葉で
は「泥仕合(どろじあい)」が正しい。
辞書によっては、「泥仕合」が一般的としているものもある。
由来・語源 辞典を見れば分かるように「し合う」に源を発している。
どんぐりころころ どんぶりこ
「どんぐりころころ どんぐりこ」は誤り。童謡「どんぐりころころ」の
歌詞で「どんぶりこ」は擬音表現をしたものだが、幼児がよく間違って歌
っている。教えた大人又は親の所為(せい)かも? 歌の「池」から思い
出すようにするとよいだろう。
とんでもないことです/とんでもないことでございます
「とんでもございません/とんでもありません」は誤り。非常に広い意味
で使われ類語も多いが、使い方に注意が必要である。highdy も思わずう
っかりtたまに間違えて使ってしまうことがある。
「とんでもない」が一つの言葉であるから、その部分を変化させてはいけ
ない。
蜻蛉(トンボ)返(かえ)り
「トンボ帰り」は誤り。トンボが寝ぐらに帰ることではない。一般的に、
ある場所に行って、そこからすぐに戻って来ることを意味することから
「帰り」正しいと思われがちである。別の意味で、トンボの動作を表現す
る場合もある。従い「書き言葉」として注意が必要。由来・語源辞典や
類語を参照。
工事現場などでは、ものを上下又は左右に反転することを「トンボする」
ということがあるが、多くの場合上下にひっくり返すことをいう。