ご挨拶

 

 

 

ビデオの御挨拶は古くなりましたので、

削除させていただきました。 

室長略歴

                  (Excel で遊ぶシリーズより)
(Excel で遊ぶシリーズより)

 学校を出て、地元(宇部市内)の中小企業に8年半在職、この間に設計を中心とした数多くの技術的な知識を吸収、当時やっと世の中に大衆化し始めた初期の電算機(いまの電卓)なるものをその会社で初めて導入。

 

 中小企業では能力が伸びる限界を感じ、一念発起、自分の実力を試すために、東京に出て車両・船舶・工作機・ディーゼルエンジンなどで皆様にお馴染みの大手企業のエンジニアリング部門で、プラントエンジニアとして約30年間勤務。      

 この間、医薬・食品工場をはじめとするあらゆる産業分野の機械やプラント開発・設計・施工管理などに従事、人生の1/3〜1/2は開発業務。元来創意・工夫・発明が得意であり、工業所有権の実用新案、特許も約30件取得。世界各地に出張できて見聞を広め、日本の良さを知ったのもこの時代。

 大衆化し始めた最も初期の高額なパソコンを自費で購入して独学。当時大手の同業他社に劣らない電算技術を誇っていた会社では、その頃から日本語や英文ワープロも利用。その後、職務ではCAD(コンピュータ設計)を駆使して設計。先輩や後輩にもワープロ、CADの操作技術を指導。

 

 その会社を退職後、さらに大きなスーパーゼネコンのエンジニアリング部門に勤め、医薬・食品の新しい製法による各種新工場の設計に従事していたが、親の介護のため退職。それを知ったある有名な東京の中小企業(本社は静岡)から入社要請があったものの、親の介護負荷が大きくなり、月の半分は実家(山口)で介護、残りはその会社(東京)での非常勤勤務で自宅(埼玉)から通い続ける。

しかし、24時間介護が必要となり完全退職を余儀なくされる。

 

 寝る時間が減ってきて、どうせ寝れないのであれば勉強をしようと放送大学に編入学。親父の介護及び将来に備えて福祉系のコースを選択・勉強。

この頃ボランティアの「無料パソコン教室」を本格的に始める。そのうちに親の入院をきっかけに自宅での介護は困難との宣告を受け、親の病院へボランティアで通いながらこの教室を開いていた。が、その親父も他界し、暫くは残務整理をしつつ、旅行を兼ねて全国の大学を放浪、遊びながら勉学に励みつつ…といったところ。

 その後大学はコースを変えて卒業・学士入学を繰り返し、2018年からは人生5度目の大学生であったが、2020年3月退学を申し出て正式に認可された

いまも、3か月毎に埼玉(自宅)~山口(別宅)を往復しつつ、2008年から正式に始めた「無料パソコン教室」をしながら日本各地を旅する気ままな後期高齢者。