奈良・京都旅行(1)

季節を変えてみた

 

 例年秋の10月にする旅行を初めて連休に関係しない5月末に変えてみた。

理由は、秋は陽が短いため日照時間が少なく、行動時間が限られるためである。highdy 達は朝6時半に埼玉を出て、京都で義弟夫婦と合流、快速電車の中で昼食しながら正午前に奈良に着いた。4日間の旅行行程が始まる。

 

初日、いきなりハプニング !

 

 京都の新幹線改札口では確かに赤い捺印のある乗車券を受け取ったのに、奈良駅で列車を降りようとしたら乗車券がない ! 大人の休日クラブ会員でもある(購入駅に買った証拠が残っている)し、復路の乗車券も買って持っているので、駅員さんに事情を説明をしたら問題なく納得して改札を出してもらった。

燈籠の数(3,000基)は日本一!と言われる
燈籠の数(3,000基)は日本一!と言われる

 先ずはレンタカーを準備、クイックスタートが登録済みで段取りはいい。

初日の予定は、灯篭で有名な世界遺産の春日大社と華厳宗の大本山である東大寺二月堂のみ。両者は若草山を挟むように位置している。就学旅行シーズンなので、春日大社駐車場も満車状態だったが運よく駐車できた。

春日大社 若草山 ~ 東大寺(二月堂)を往復する。何処も学生達、外国人観光客でいっぱい。若草山は中学生時代に訪れた所で懐かしい。泊まったと記憶する宿の前でパチリ。東大寺の二月堂がお目当てだが、三月堂と四月堂も歩いて60秒足らずと集合している。暑い中、着物姿の外国人が目立つ。

春日大社前の修学旅行学生
春日大社前の修学旅行学生
   泊った筈の旅館前の鹿たち
泊った筈の旅館前の鹿たち
二月堂の石段を上る途中で
二月堂の石段を上る途中で

 初日は列車の疲れもあるだろうから、早めに宿(井谷屋)に入り、温泉で癒される計画である。

宿の気配りもあり、我々老人のために風呂の近い部屋をご用意いただいたようである。田舎料理風だが次々と奈良らしい美味しいものが出てきた。温泉と食事に御一同大満足のようで、少しは計画の肩の荷が下りた感じがする。


2日目は早朝勤行から 

 

 2日目は直ぐそばの長谷寺早朝勤行(ごんぎょう)に参加するため、5時半過ぎに起床し宿の玄関先から15名くらいの信者の団体とバスで同行した。約400段という石段を帰りは歩いてみたが、蹴上が100mm程度しかなく、これなら初めから歩いても大したことはなかったと分かった。

勤行では、大勢の僧侶のリズミカルな読経と太鼓や鐘などの素晴らしい調和、超一流音楽家の合奏とコーラスを聴いているようであった。

 勤行のあと、西国三十三所草創1300年記念事業として、普段は関係者以外立ち入りが禁止されている国宝本堂の中に入ることができ、高さ10mを超える本尊大観音尊像のお御足(おみあし)に直接触れてお参りできる特別拝観が許された。特別拝観料を払うと、五色(しき)の結縁(けちえん)の糸で編まれたブレスレットが頂けた。五色にも諸説あるが、編み紐・組み紐に詳しい義弟は、緑・黄・赤・白・黒のうち一色変えるとオリンピックの色になると指摘した。(なるほど・・・)


 一般的に長谷寺は牡丹で有名(鎌倉の長谷寺は紫陽花で有名)だが、その回廊(上の写真)の美しさでも有名である。桜の時期は、また格別の美しさが見られる。

宿に帰って風呂に入り、遅い朝食。夕食と同じ部屋担当の仲居さんは、朝食も面倒を見て下さったので気持ちばかりのチップを渡した。

 

大きな古墳が巨石建造物となった石舞台  
大きな古墳が巨石建造物となった石舞台  

亀石にがっかり!

 

 宿を出て初めの訪問地は、石舞台古墳、続い亀石に行く予定だったが標識を見落としてそのまま高松塚古墳へ。石舞台古墳の入場セッ料金に含まれているので、もう一度Uターン、この辺りに間違いなしと

車を止めて歩くも見つからず、老農夫に尋ねると数十m後ろに !! 通りがかればだれでも見れるこんなものを料金に含めるのはいかがなものかという感じがする。でも、高松塚・キトラの両古墳とも駐車場案内人がいるのに駐車無料だったので「よし」としよう。

 石舞台古墳の外は炎天下で27~28℃あったが、玄室内部はとても涼しく快適である。亀石にがっかりした後は、キトラ古墳へ。

玄室内部は広く快適
玄室内部は広く快適

苦労していった割には、大したことはなかった。

高松塚壁画館は古墳の下に
高松塚壁画館は古墳の下に

 高松塚古墳の被葬者は特定されておらず、諸説ある。国営飛鳥歴史公園内の古墳の下に設けられた壁画館内にある復元模写された玄室や壁画は見るに値する。盗掘の痕(あと)まで細かく復元され、壁画に至っては新しく描く何十倍もの時間を要したに違いない。幾つ目かの大学で教わった知識も残っており、一度は見ておきたかった遺跡の一つでである。

 キトラ古墳は、高松塚古墳に次ぐ我が国2例目壁画古墳である。アジア最古と思われる天文図(右のスライド参照)が見つかったという事実には驚いた。いつ、誰により、何のために伝えられたのか。 以下のリンクはパノラマ。

       http://pnr.ma/dIUheG


 奈良は盆地なのでこの時期でも夏のようにメチャメチャ暑い。協議の結果観光予定を少し端折って次の行程に進めることになった。

橿原(かしはばら)神宮に参拝して予定の行動を終了。神宮と名のつくところは皇室との関連が深い神社で、どこも規模が大きく広大な敷地を持つのが一般的であり、ここも例外ではない。だが見どころがなくつまらない神社が多いのも共通するが、義妹の要望で行程に入れた。駐車料も安く500円/回だが、拝観料が不要でお賽銭のみで参拝できるのは嬉しいことでもある。奈良・京都は拝観料・駐車料・賽銭ですぐ萬を越える。

 

   2泊目の宿に早めに着く
   2泊目の宿に早めに着く

時間余裕が出た !

 

 highdy にとっては少々不本意だったが、一部行程を省き時間に余裕が出た。予定より早めに宿に着いたが陽(ひ)がかなり長くなっているので明るい。

そこで、翌日の予定を前倒しして国営平城宮跡歴史公園内の平城宮遺跡も観ることにした。平城宮のモデルはその昔 highdy もい行った中国の長安である。

         朱雀門
         朱雀門

やたらと広い園内にっ現在復元されているのは、朱雀(すざく)元明天皇が建てた(第一次)大極殿で、その近くに聖武天皇が建てた(第二次)大極殿があるが、こちらは復元されていない。(多分復元もされないだろう。)現在は、第一次大極殿の南門の復元工事中で、工事の状況も一部見ることができる。highdy が勤めたことのあるスーパーゼネコンが工事を担当しており、担当者の制服が懐かしかった。

観光案内図
観光案内図
第一次大極殿
第一次大極殿
大極殿南門復元工事中
大極殿南門復元工事中
撮影は失敗の夜景
撮影は失敗の夜景

 上記国営平城宮跡歴史公園の資料で分かるように、長い幾つかの変遷により都の変化が理解できる。

観光施設としても大変充実し、バス路線も整備されている。夜は宿の展望室からライトアップされた復元建物を奈良の夜景とともに観ることができた。

(右上写真は失敗作) 以下に朱雀広場をパノラマで観ることができる。

                   http://pnr.ma/eyRNfY

ところで、平城京平安京は紛らわしくの区別がつかない方もおられる。
実は highdy も少し前まで、こんがらがっていた。詳しくはこちらへ。

 

さて、またしても事件は起きた !

 

 と言っても、恥ずかしい事件で、あまり話せる内容ではありませんが…

でも、長くなるので次回に・・・。