石田堤と忍城へ

案内資料の表紙と入場券 
案内資料の表紙と入場券 

 最近、メダカ、エビ、タニシをグリーンウオーター飼育からビオトープ飼育に切り替えつつあるため、何かと忙しい highdy だが、昨日は昼から「石田堤」を観るついでに忍城行田市郷土博物館)にも行ってきた。入館料は 200円なのに、見応えのある歴史的な展示物(遺品)や資料が数多く揃えられ、詳しく丁寧な説明がなされている。
配布されるリーフレットも考えると赤字ではないのかと心配になってくる。

 

石田堤の位置を示す案内図 
石田堤の位置を示す案内図 

新幹線が史跡を分断

 

 とても残念だが右の案内図に示すように、新潟新幹線がものの見事に(?!) 有名な史跡「石田堤

を分断している。

石田堤は highdy の住む鴻巣市と行田市にまたぐ形で造られており、車で約 35 分で行ける。

ちょうど新幹線が分断する付近で脆くも決壊し、石田光成の計画は失敗した。付近一帯は元々沼地だが、それに加えて地質的に恵まれなかったことが最大の原因でもある。

直ぐそばに堤の実物断面や地形状態を示したり、堤(土手)に上ってみることができるように配慮されている。また、堤に沿った道路を走りながら忍城に向かうことができる。総延長 28 km(実際には自然地形を利用したので、

その半分位かも ?)を金に糸目をつけず、僅か1週間(実際には5日とも ?)で築造したのだから凄い !!

 

忍城忍城址公園

 

 左の写真は、復元された御三階櫓(ごさんかいやぐら)と高麗門形式の城門(模擬門)を示すが、本丸は城址の土塁を残すのみで、御三階櫓を通称「本丸」として代用

表示している。

 荒川利根川の間の広い沼地に位置した平城で、水攻めに耐えた(と、言うより失敗したため)難攻不落の城であったため、浮城亀城の別名もある。highdy は詳しく知らないが、関東7名城の一つらしい。

忍城址公園には竹林も
忍城址公園には竹林も
復元城壁のいろんな狭間
復元城壁のいろんな狭間
鐘楼には桑名から移送の鐘
鐘楼には桑名から移送の鐘

 鐘楼には、1717年(享保2年)伊勢の桑名藩主松平忠雅によって鋳造され、1823年(文政6年)に松平 忠堯(ただたか)が忍へ移封される際に持ち込んだ時鐘(じしょう)があり、博物館内に本物がある。

御三階櫓の2階、3階は資料室・展示室、最上階は現在の行田市を望む展望台となっているが、高い建物がない当時としては軍事的に貴重な見張り場として機能していたに違いない。

この周辺には、さきたま古墳公園(日本一大きな円墳がある)、古代蓮の里

武蔵用水路さきたま緑道、スーパー銭湯など、数10分圏内に多数の観光地があり、1日ではとても廻り切れない。