2か月半もここに何もアップしなかったが、7月2日に自宅を出て山口に来ているが、きょうまでいろいろハプニングがあった。
中でも最大の出来事は、緑内障発作である。
緑内障発作と事故の一部始終
初期症状(7月6日)
7月7日 朝から頭痛、右目の奥がガンガン痛い感じ、涙も出るし目を開けていること自体しんどい。昼頃までに頭痛は概ね収まったが、どことなく痛い感じは続く。それでも夕方までに2件のサポートを何とか頑張った。うち一人は文字チャットでのサポートだから大変。
(メールと文字チャットは、可能な限りお断りしているのだが・・・)
だんだん目が痛いのか頭が痛いのか判らなくなってきた。
交通事故
日が暮れて外は土砂降りだがサポートで予定が狂ったため、近くのコンビニで最小限の買い物。帰宅の100m手前の交差点で自損事故。広い通りから左折したところ前から車が来たので道を譲ろうとバックしたが、右からも直行する車が……。土砂降りと暗さで後ろが良く見えない、しかも目の痛さで殆ど片目運転状態。
バックミラーに電柱が見えたのでブレーキを踏んだ。突然の片目運転だから距離感覚が狂っているらしく、ブレーキのショック以外に何も感じなかったが、後部ドアのガラスが一瞬にして粉々になった。どうやらルーフランプの出っ張りに接触したようだ。
とにかく2台の車に道を譲り帰宅後車庫に入れ、目の痛みに耐えつつ雨の中暗闇でブルーシートで後部を覆った。病院に行く前に修理屋さんを呼んで説明をするときに見たら、後部ドアとバンパーに20㎜前後の凹みがあった。
何10年も無事故・無違反を誇っていた highdy だが、生まれての初めて修理費用のかかる事故に遭遇した。人身事故でもなく他人に一切迷惑をかけなかったのが幸いである。
激痛に耐えかねて(7月7日)
あらゆることに我慢強いのが highdy の長所でもあり欠点でもある。
翌日まで目の様子をみようと決めたが、ひと晩中激痛に見舞われ一睡もできない。それどころか何度も吐出(ヒトは痛みがひどいと吐き気、めまいを催すことが多いもの)、しまいには吐くものがなく胃液が出るほど。
何とか朝までと必死にこらえたが耐え切れず、7時頃救急病院に電話。ところが一般病院の診断を受けてから……と、一般病院を紹介してくれた。(生憎当日は土曜日で担当医のいない日で運が悪かったか?)
総合救急病院を選んだのは、脳腫瘍も含め年齢による病気など他の病気の併発も考慮したからである。
ところが、両者でタライ回しに会い、双方に痛さをこらえつつ電話をし続けた。
(命に関わる病気だったどうなるの?
119番通報しなかった highdy が悪い?)
結局タクシーを呼び一般病院へ向かい通常診察を待った。受付では既に名前が知れていたためか長椅子に倒れこんでいる highdy を見つけ、10数人患者がいたが最優先診療で院長が診察してくれた。もはや、この時点で視力ゼロ。
院長は、「この状態ではうちにもレーザー治療機はないし、先の救急病院でも対応できない状態」と診断。すぐに点滴の必要もあるし緊急手術が必要と山口医大の医師を紹介してくれ、
「今すぐ行ってください! 先方で待機しています!」
と紹介状を書いてくれた。隣の薬局で処方箋の薬を受け取り、タクシーを呼び医大へ直行。
いきなり手術・入院
着くとすぐに検査の連続、種類も多く概ね1時間近くかかった。ま、命に別条があるものではなく、騒くこともなく病院ものんびりしている。結果、「これは緑内障発作です!」???(初めて聞く病名、発作?)
発作を起こした目は、前が真っ暗、視力はゼロ。「点滴をしないと眼圧が高くて手術もできない!」そうで、「これから入院していただきます」と言われた。緊急点眼薬を5分おきに5,6回受け、その後病室に案内され約1時間の点滴が始まった。
やっと痛みも若干和らぎ落ち着いたが、前の晩から4食も絶食し、全く寝ていないから睡魔も襲う。意識はもうろうとしているから、トイレや売店など施設の場所・テレビカードの購入法・院内の浴室・電子金庫やロッカー利用法など長々と説明が続くがそんなものはうわの空。看護士も仕事の一部で義務なのだろうから適当に聞いておく。
返す言葉も「テレビは観ませんので!」と素っ気ないが、こちらはそれどころの状況ではない。それにトイレへ行くにも足元がフラついているのが自分でもわかる。慌てた担当看護士が優しく手を引き案内してくれた。
そしてレーザー治療
手術内容は早い話、涙の循環経路の目詰まり解消のためにバイパスの穴(管)を堀りあけるものである。(正確にはシュレム管の房水への通り道を新たに確保すること。詳しくは、上記緑内障発作参照)
どんな麻酔をするのか不安だったが、注射ではなく液体の塗り薬のようなものだけで目にしみるほどの痛みは全くなかった。手術は、「あっちを向いて、こっちを向いて」などと言われながら約10分ほどで無事終わった。
遅い夕食 美味しさに感激!
highdy はこの春から上歯の一部に入れ歯を使用し始めたが、急いでいたので忘れて行った。事情を説明したら、主治医が「軽いお粥と食べやすいものを…」と、便宜をはかって下さった。
老人社会における近頃の病院は、そんなことには慣れている。病院の粗食は親父の介護経験でよく知っているが、これほど美味しく感じた食事はあまり例がない。入院準備もなかったので、担当看護士が買い物も不便だろうと、売店で箸、紙コップや歯ブラシなどを買ってきて下さった。医師や看護師の優しい配慮に感謝する。
何せ生まれて初めての入院である。(結論的にはたった1日だったが…)
こんな時間にまだ何かするの?
医者という職業も大変な仕事である。
夜の8時頃、主治医が術後の検査をするということで、病室から呼び出された。でも手術は成功!(ホッとした感じ)
検査機に顎と額をくっつけた状態で、きれいな女性主治医の白い首の辺りがボヤけてはいるが見える。胸部は見えないように白衣のボタンがしっかり役目を果たしている。幸運にも失明は免れた。これで安心して眠れる。
朝食も・・・
夜間はもらった痛み止めも使うこともなく、爆睡したらしく6時半を過ぎた頃だったか、自然に爽やかに目が覚めた。この病院は7時が朝食らしい。働かざる者食べるべからずか、これがまた粗食で物足りない感がある。
急きょ退院許可?(7月8日)
朝食後、看護士が目薬を差しに来て、午前中の診療予定を告げて行った。暫く寛いでいると主治医が迎えに来て診察室へ。眼圧を測ると12mmHg(一般正常値は10~20)で極めて良好。
既に報告がしてあるらしく、上司と思われる医師も同席面談。
「とても結果がいいのできょう退院することもできますよ!
どうされますか?」と言われ、(えっ?)前日は「数日程度は…」と聞かされていたので驚いたが、即刻「では退院させていただきます」と答えた。
病室へ戻ると看護士も驚いたように慌てて駆けつけ、
「お一人なら昼ご飯くらい食べて帰ってください」と、多分既に手配済みだったのだろう。
昼食を食べ終わったら、5種類もの目薬を持って来て、用法を説明、点眼演習をさせられた。
3日後に術後検診
例の上司と思われる医師と主治医が同席、前医師は、「現在治療中の目に白内障はないが、後日のために早い時期にその治療をしておくと、緑内障発作の再発防止になる」こと、また正常な片方に関しても、「5年以内に50%の確率で確実に緑内障になる危険性があり、早急に治療をしておいた方が良い」と忠告、主治医とよく相談するように告げられた。
また、「これらの治療は術後経過の観察が大切で、いまのあなたの3か月毎の往復サイクルの途切れ途切れの診察では十分なケアができない。もちろん、必要な術後ケアのための地元病院も紹介はするが…」とも加えた。
主治医の判断
その後主治医の診療室で今後の計画に関して意見を聞かれ、highdy は「かかりつけの医師に継続してすべての面倒をみてもらうのが一番好ましいと思う」旨を告げると、快く同意していただいた。彼女は当面「早めに残る目の緑内障の手術を…」ということで、取り敢えず1週間後の術後検診の予約が決定。白内障は次回山口を訪れた際、一人暮らしなら数日入院して落ち着いて治療をした方がよく、経過観察には約3か月が必要なことも聞いた。
1週間後(7月18日)
約1時間近くかかって10種類くらいの検査・写真撮影が終わり、主治医に面談すると、非常に経過が良く穿孔した管が十分に機能しているし、眼圧も正常値の低い方に近く良好な経過であることが判った。
主治医の判断で、早めの緑内障手術をしましょうということで合意し、次回検診は25日で予約が確定。
この検査で撮影のために瞼を何度も持ち上げられ、翌日は瞼が痛かった。また、水晶体や眼球の撮影のためだろう、強力なフラッシュライトを何度も浴び、網膜を焼いてしまったらしい。数日間独特の症状である目の中がゴロゴロ感が取れず、手術より痛かった!
地元はありがたいもので、手術日を除く検診日は近くに住む中学・高校の同級生が病院まで送ってくれた。帰りはタクシーに乗ったが、小学校時代の同級生が運転手で、双方とも気づかず話していた。運転手の名前を見ると記憶のある名前だったので、
「運転手さん、あなたは□□通りの△△が住所ではない?」
「そうです!」 「な~んだ、同級生の○○君じゃないか!」というわけでここでも同級生。車内で懐かしい同級生の数々の情報を得た。
さらに1週間後(7月25日) えっ?
この日は先の高校の同級生が外国旅行中でタクシーで病院へ。
眼圧検査をすると正常値であった。検査後に主治医の診察を受けると、
「それでは、きょうはもう一方の眼をしましょうね!」
「えっ? 早めにとは聞いていましたが…、きょうとは…」
「私のノートには、そのように書いてありますよ!」
「じゃ~、やりましょう!」というわけで、心構えはなかったが、前回の手術経験で安心感があり快諾した。早速手術室へ。
無事手術も終わり帰りのタクシーを捕まえると、奇しくも先の同級生と同じ会社の車。この会社は山口医大には常駐しない慣例になっているとか。
先の運転手の名前を出すと、彼は市役所に勤務し定年後に始めた仕事らしいことも分かった。とにかく地元は世間が狭い、あらゆる情報がどんどん入ってくる。
highdy は親の介護があったとはいえ早くから遊んでいるのに、男子同級生は5人に1人位の割合でみんな頑張っている。
いまはそんな時代なのかな?
いや、政府の年金政策の失敗がそうしているのかも知れない!
次回診察(8月22日)と今後
来年のノート白内障手術の予約・計画打ち合わせ予定。
後輩が社長を務める会社に出した事故車も、約1か月かかってやっと帰ってきた。ガラスが高価なタイプと後部ドア、バンパーなども新品と取り換えだから約18万円の突発出費である。いまは、昔と違って板金作業を減らし人件費節約のためか、部品交換丸ごと交換が多くなった。
こんな事件で今回の受験は中止!!
視力も左眼1.0に対し右眼は0から0.8まで回復したが、完全には戻りそうにない。長時間本を読むと、慣れないせいかバランスが悪く疲れる。
今までのような1日12時間以上の勉強(日頃はサボって遊んでいるからこうなる)はできそうにない。そこで、大学も5つ目で中退するつもりである。
紫陽花が大喜び!
一般大学に比べればとても安い授業料の放送大学だが、それでもかなりの出費をする。役にも立たない勉強をしている highdy に、自分のお金を使っているので文句は言わないが、肯定的ではなかった紫陽花も、「やっとその気になってくれましたね?」と大いに喜んでいる。
理由は、旅行計画が自由に立てられるからである。そういう紫陽花だって、沢山の趣味で自分のスケジュールを密にしているだけなのに…!!
最近は、アマチュア無線の上位資格取得、天文観測、旅行など、数多い趣味の中で、必死に勉強しなくてもよいものに軸足を変えている。
長年続けてきた無料パソコン教室は、HP維持にお金はかかるがいましばらくは継続のつもりである。