観光バスがすでに10台余り、一般乗用車はまだ数10台程度だった。参道や境内を歩いて聞こえる会話は、殆ど中国語、たまに韓国語、日本人は殆ど見当たらない。例によって、いろんなところで大きな声で大騒ぎ、「店内での飲食はご遠慮ください」(中国語表記も随所…に)の張り紙も何のそので、実にマナーが悪い。お菓子やアイスクリーム、串刺しの練り製品や饅頭を食べながら、参道、境内、土産店など所構わずである。
境内には修学旅行と思える日本の高校生らしき団体も少しいたが、日本人は数える程、とにかくごった返していて写真もまともに撮れない。
しかし、観光に関する人々にとっては大切な収入源であり、日本の外貨獲得に寄与してもらっているので文句も言えないようで、しかめ面の店員さんが可哀想。それでもめげずに、片言の中国語やメモ紙を見せなが必死に商品をすすめている。日本人なら買わない高価なもの、派手なものを何の躊躇もなく買い求めている。
人混みに疲れながらも、有名な句碑の前で何とか記念撮影、次の伊藤伝右衛門の旧宅に向かった。
入口に麻生元首相の筆による表札(左の写真)が目にとまった。歴代の首相に筆の立つ方はあまりいないのに、これが実に素晴らしい書であるのに驚いた。
ごく最近まで私有であったが、飯塚市に寄贈され、一部は国の文化財にもなっている。当時としては大変な近代建築であったことが容易に判った。玄関を入ってすぐの応接間も豪華だが、伝右衛門が白蓮のために用意した、一間幅の長~い畳敷廊下も、他ではあまり例を見ないものである。
この旅行で、伊藤伝右衛門がいかに立派な人物であったか、ドラマとは全く違った人物像であることが良く分かった。ドラマではごく一部が面白可笑しく誇張されていたに過ぎず、歴史は知れば知るほど面白くなる。
NHKドラマ「花子とアン」に由来する無料の貸衣装が何着もあり、帽子とバスケットも記念撮影用に準備されていた。「なり切り」の好きな紫陽花は早速変身、と言っても服着替えなかったが「記念撮影」と洒落込んだ。何処かのお城では姫にもなったり、こんなことはしばしば。
福岡県を後にして再び山口県に戻り、途中道の駅「豊北」で遅い昼食、角島大橋へ向かう。ここは以前にも紹介したので割愛。
(写真は上のリンクでご覧ください。)
長門市仙崎の宿では夕陽(下の写真)を眺めながらしばし休息、そしてお泊まり。
翌日は宿から歩いて5分の金子みすず記念館へ。近くの花屋でお線香を買い非業の最期を遂げた「みすずのお墓」があるお寺に行き、みすず通りの散策、青海島などもドライブ、またまた美味しいちょっぴり贅沢な昼食を済ませて大寧寺へ向かった。食事と温泉は旅の楽しみを増幅してくれるものである。
大寧寺は悲運の大内義孝、終焉の地である。その後は山口県は毛利氏の支配となり、幕末から明治にかけて多くの偉人を輩出する基礎を作った。
旅の〆は温泉、帰路の途中で道の駅「於福」で寛ぎ、疲れを癒して帰宅。延べ5日間に及ぶ、夕陽と天満宮の観光シリーズ終了!!
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