ホテルの夕食は流石に海に近いためだろう、魚が美味しかった。中でも丸ごと1匹の煮魚は絶品で、上品な味付けといい煮加減といい数年に一度味わうことができるか、否かのものであった。
宿の地階にあった温泉は約8m余りの津波で壊され、新しい浴場が造り直されヒノキのいい香りが癒してくれる。やっと再建して営業を始めたものの、観光客は以前の半分までにしか回復していないそうだ。
夜が明けて6時から別館(上の五浦海岸のリンクに見られる写真の右)の海を眺望する露天風呂に入りに行った。本館から歩いて10分だがシャトルバスで送迎して頂いた。
愛車を宿の駐車場においたまま六角堂やその記念館、岡倉天心の居宅などを回っていたが、出発前に観光の記念にと宿の名前を入れて1枚だけパチリ!
続いて車で数分の茨城県天心記念五浦美術館(下の写真)に向かった。大変お金をかけた贅沢な美術館である。天心の人柄(良い面も悪い面も)、優秀さも理解できたが、とにかく生き急いだというか、死に急いだ感がある。短命であったことが惜しい。
こんな広大な場所では、車を何処に止めたか分からなくなるものだが、ちょうど目印になる赤い現役のポストが役にたった。
前日より天気もよく、この日も晴れていたが、車に乗って間もなくポツリと雨。主な目的の観光は終わったので次の目的地である栃木市に向けて出発。北関東自動車道、東北自動車を使い約2時間、殆ど晴れていた。途中のサービスエリアで車の燃料も心配になり、人間とともに食事をすませた。あと10分というあたりで、一転俄かに駆け曇り、到着したことろには傘がないと歩けない状態になった。
実は紫陽花の趣味の仲間から頼まれたお土産を買うことが主な目的で、それに便乗して私も「蔵の町」を観光しようと企んだのある。平日は川の中から船で観光するところだが、この雨ではどうしようもない。それでも傘があれば歩けるほどで、紫陽花のガイドで歩いていた。だが、雷は大きく鳴るし近づきつつあるし、雨は激しく降り出し、観光どころではない。この写真を撮った直後から、数10m先が見えないほどの集中豪雨になった。思わず近くのお土産店に駆け込んで雨宿りついでにお土産を買う。
紫陽花は目的の店を探して出ていく。買ったら戻って来るというので私はそのまま居残った。ところが、お目当ての店が誰の記憶違いか見つからず、集中豪雨の中約1kmも離れたところに見つけたそうだ。しかも品物はシーズンもので無い!とのこと。遠路遥々やってきた理由の説明に、お店の好意で冷凍保存してあった貴重な一つを売ってくれ、来年に備えてお店の名刺をくれたそうだ。
紫陽花に詳細を尋ねると、その品物とは「栗蒸し羊羹」だそうで、最近は何処でもいつでも買えるものであるが、この和菓子屋さんにはこだわりがあって、栗の季節以外は絶対に作らないということだったとのこと。
雨宿りの店から土砂降りの中、川のような道を歩き、シューズの中はグジュグジュ。やっと駐車場に戻り雪駄に履き替え、紫陽花を迎えに行き、そのまま帰路へ。途中小降りになり「道の駅」で買い物をしたり、寿司屋で夕食をとり、自宅に着いたのは19時過ぎ。
晴れ男がこんな目に遭ったのは生まれてこの方初めてかも知れない。
我が家にとっては2泊3日の小旅行だが、走行距離は予定の947~1000kmに対し、980kmとかなり近い。 いろいろ喧嘩もしたが、楽しい旅であった。
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