制度そのものが問題なのでは?

 いろいろ考えていたら話題の時期が遅くなってしまったが、例の大阪府の高校で体罰が問題になったことは記憶に新しい。いつも興奮気味であの過激(?)な大阪市長、橋下徹 氏の発言にも一理ある。かなりオーバーな表現も少々気になるが、本来弁護士の出身であるから法的な問題には詳しい。それを武器にいろんな改革をやってのけようようという意気込みは感じられる。何か新しい世の中にしてくれるのではないかという、現状打破を望む市民の気持ちに支持されているに違いない。

例の体罰問題でも、いろいろ物議を醸すような発言もあり、教育委員会と当該校長の行動が注目の的となり、間に立つ生徒・父兄にも大変心配をかける結果となった。

有名な強豪チームおいても体罰ゼロで立派な成績を残すチームもある。我が紫陽花も若い頃は実業団に所属していたが体罰はゼロであり、自分が指導者になってからもそれは一切しなかったでという。それでも数あるチームの中で頂点に立つところまで監督と数人のコーチで育成したそうだ。

でも、自分が現役時代に他の男子の競技では目撃したそうだ。国内10指に入る某有名企業の話だから名前は伏せておく。スポーツ界にはよく聞かれることであるが、確かに体罰はどんなものでも決して良くない。

事の重大さからこの問題を分析してみるに、それは教育委員会と校長の関係にあるのではないか、つまり、制度に問題が潜んではいないかということである。例が適当でないかもしれないが、当然ながら校長の職務権限(中教審資料より)というものがある。これによると、やたら責任ばかり多くて、予算も権限もない。(橋下氏談)この意見には私も同感である。それでいて学校の管理責任をはじめとして知名度や能力アップを期待される。

どんな世界にも通用することであるが、権限と予算はつきものであるのが本来の姿であり、その権限の裏にこそ責任や義務があるものだ。

世間では親の義務も果たさずに学校の責任ばかり追求する親がいる。問題児の個別指導や父兄からの理不尽な要求を突き付けられ、悩んで精神疾患になった教師は数知れない。中には「義務教育だから学校が食べさせるのは当たり前」という理由で給食費も払わないケースも多々ある。雑務や会議の多い教師という稼業もラクではない。

今回の高校側の対応にも問題が無いことはないが、校長の立場で考えるなら、制度全体で見直すことが根本的なことではないだろうか。橋下市長の発言も体罰を無くすることが主旨であり、校長を攻撃するのが目的でないことは明らかである。その意味で、現在進められている教育改革も、じっくり現実を見つめ直しての制度づくりがされることが望ましい。

あらゆる組織において、人に任せる」ということは、「予算と権限」を与えることが必須条件なのである。

 

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コメント: 2
  • #1

    morio (土曜日, 16 2月 2013 14:25)

    教師の目標は校長になること。すべての教師ではない。校長になるのは退職まじかがおおい。平穏無事に過ごしたいからできるだけ外部に知られないようにする。責任は校長にあるが校長に任命した教育委員会にも責任が問われる。したがって閉鎖的でもみ消しも多い。誰も退職金がなくなることが嫌だから仕方がない。問題が起きると下っ端に責任を取らせる権力者とはそういうものだ。だからお互い知っていても無関心いなる。橋下さんでも多分できないと思う。

  • #2

    highdy (土曜日, 16 2月 2013 18:11)

    私は他人に教えることは苦になりませんが、学校の先生は向いていません。特に小・中・高の教師は嫌です。講師として単発で授業をするのであればOKです。
    上に立つ人は常に自分で責任をとる覚悟でないと、誰もついて来ません。
    私は現役時代に部下に対して、「失敗しても責任は俺が取るからをとるから、やってみろ!」スタイルだったので、他の上司の言うことは聞かなくても、私の言うことは気持ちよくやってくれました。言われた方は、私に迷惑をかけないように頑張るので、失敗は一度もありませんでした。
    それに失敗しないように見て見ぬふりをして、見守ってやりましたから…。